ありがとうと言っている時に、謝罪の気持ちというものを認識してしている人はいるのでしょうか。
でも、確かに『感謝』という言葉の中には「謝」という文字が入っていますよね。
お礼を言っているのに、なぜ謝るのか…

実はこれはただの偶然ではなく、感謝の中には謝罪の気持ちが入っていることを表しています。
私達は人の親切や心遣いを受けて感謝しますが、どんなことに対しても同様に恩義を感じるわけではありません。
自分自身の失敗に対するフォローや、自分にできないことを代わりにやってくれた時、ありがたいと感じるのではないでしょうか?

貴方が食料を生産していないのなら、農家の方が代わりに農地を耕し、作物を栽培してくれているということです。
貴方が道具を作っていないのなら、職人さんが代わりに工場で働き、金属やセラミックスを加工してくれているということです。
貴方ができないこと、貴方がやらないことは、他の誰かがやってくれています。
それに「苦労をかけてすまない」と思うことができたなら、その気持ちが「ありがとう」へと変わります。

感謝と謝罪は、鍵と鍵穴のような関係。
片方の凹凸を見れば、もう片方の形状を知ることができます。
貴方が他人に感謝できないと思うなら、自分自身の欠点を見つめ直せばいいのです。

謝罪が感謝に繋がるのと同様に、傲慢は憎悪に繋がります。
己の能力を過大評価して、他人が期待に応えられないと知れば、そこには侮蔑や恨みが生まれます。
能力が高い人と言われる人ほど短気で他人に悪感情を抱きやすいのは、そのためです。

憎悪と感謝は、決して両立することができません。
プライドは競争と憎しみを生み、己の弱さを知ることは尊敬と謝意をもたらします。
人の心は必ずどちらかに偏っているものなのです。
優性遺伝の結果か高度な義務教育のおかげか、近年人の能力は飛躍的に高まり、同時に自尊心も天井が見えないほど高くなりました。
プライドが高まるほど他人への配慮がなくなり、感謝の気持ちが薄れるのです。

人は他人の行いを見て我が振りを直すものですが、同様に己の欠点を見て他人のありがたみを自覚することもできます。
周囲の人や物を見回してそれがいかに役立っているのか考えるより、自分自身を見つめ直すほうがよほど効率的なのです。

「ありがとう」の言葉が素直に出ないなら、「ごめんなさい」と言ってください。
他人の長所は見つけられなくても、自分の欠点ならいくらでも知っているはずです。
貴方に足りないものは全て、この地球に住む仲間達が補ってくれていることを思い出してください。
そうやって湧き上がる気持ちの奥には、今まで感じられなかったような敬愛と温情が生まれます。
素直に自分の弱さを認め、感謝の気持ちを忘れずにいきたいものです。



