皆さんは、初詣に行かれますか?
初詣は日本人にとって伝統的な行事。宗教と聞くと嫌悪感を抱く方も多いのですが、無意識に初詣や七五三などに行ってるのは、それを考える隙もないほど私たちの生活に宗教が浸透しているという事なのです。
そして、今でも多くの方が参拝に訪れて「神様にお祈り」をしている姿を見かけますね。
これは自然と日本人が昔からやっていることのようですが実は歴史を紐解くと、ある時代を境に、それ以前の日本人は神様や仏様を願い事の対象にしていませんでした。
「神に祈る」のではなく「神を祈る」
神を祈る
私たちが初詣で御利益を願うことを「神に祈る」と言います。
このとき、祈る対象である「神様」や「仏様」は、彼岸の世界である「あの世」にいらっしゃるわけです。
しかし、歴史をさかのぼると「神に祈る」というよりも、「神を祈る」という言葉の方が古いのです。
「に」と「を」、助詞ひとつだけの違いが、実はとても重要なのです。
辞書で検索をすると、
「上代では助詞『を』を受けるが、平安時代以降『に』を受けるように転じた」
「平安時代以降、神仏は祈る対象になり『神に祈る』というようになる」
と助詞の変化を説明しています。
つまり、平安時代以前の『古事記』『日本書紀』の時代では、神仏は祈る対象ではなかったということです。
「神を祈る」の、助詞「を」には深い意味が込められており、古代の宗教観を検討する上で重要な一文字です。
神がかりとして祈る
原義的には神の名や呪文を口に出して唱えることによって、まず、降臨していただき、幸を求めることを言います。
上代(古代)の用法で「いのる」とは、神の「名を」祈ることでした。
「祈」という漢字には「神にさけび告げる」とあり、「告る」とは「呼ぶ」こと。
「神を呼び出すこと」です。
記紀時代では、神の名前を大きな声で呼び出して、あの世にいるカミを降臨させていました。
呼び出されたカミは、神事を行う場所である「庭」、古代では「祭りの庭」に降り立ったと信じられたのです。
「祈る」という事ひとつ取っても深みを感じますね。
私達CACでは緑溢れる自然とその中で育まれた豊かな心を継承する日本に感謝しています。
次の世代を生きる人たちが日本人として誇りを持って明るく生きられるように、
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