2月18日の朝10:00からお送りする「経済カフェ」では新しいテーマがもうひとつ追加されますので、その中のお話しから一部お届けします。
我々が語学の勉強をしようとすると、理解しづらい事がたくさんあります。それは、日本語でモノを考える私たち日本人と外国語でモノを考える人たちでは見えてる世界観が違うからです。
物事の考え方が違うんです…。
ですから外国語を習得する時にはその国の歴史や文化、慣習なども同時に身につけなければなりません。
例えばこう考えてみましょう。
松尾芭蕉の俳句に「古池や 蛙飛び込む 水の音」という有名な句があります。
このとき、蛙は何匹、池に飛び込んだのでしょうか?
私たち日本人には
「そこ、どーでもいい」
という感覚ですが、英語を話す人たちに伝えようとすると「a」なのか「the」なのか、それとも「無冠詞」なのか、大いに悩むところです。
このように使用する言語によって単数か複数か、男性名詞か女性名詞か、生物か無生物か、格変化するのか、などを瞬時に判断して言葉にしている人たちが世界に居る。このような角度から世界を認識している人々と、私たち日本人の視点とが同じであるはずがないんです。
もちろん、彼らにとっての「彼らのコトバ」は日常生活の一部ですから、こういった複雑な思考は無意識の内にあります。この無意識になるまで落とし込んだ思考を形作る「コトバ」には、民族性というものが反映されるわけです。
また、学生時代多くの方が頭を痛めたように、基本的に英語などは話す順番を変えられません。文法ですね。日本語はこのあたりは自在にかえても基本的な意味合いが変わらない、とてもよくできた言語なのです。
他にも「昨日は楽しかったね」と言っても
「何が?」
と不思議な顔されますし、
「また行きたいね」
と言っても「どこに?」と思われてしまいます。
このように英語は話し手の言葉なんです。話す側が聴く側にわかるように細かいところまで話すよう努めなければなりません。
ですから、対極にある外国語を学ぶことで日本語を再確認すると、より日本語というものが洗練されるわけです。
また、言語を守ることはそれぞれの世界観を守ることになり、それぞれの民族をも守ることにつながるわけですから、簡単な英単語の成り立ちを知る事でお互いの歴史観やモノの捉え方を尊重したり、讃え合える心の幅を養うことに繋がると思います。
このような視点から、身近な言葉で楽しみながら日本語を再認識するための
「想像する英単語」
を始めてまいります。
私達CACでは緑溢れる自然とその中で育まれた豊かな心を継承する日本に感謝しています。
次の世代を生きる人たちが日本人として誇りを持って明るく生きられるように、
社会、歴史、精神の再認識、
様々な分野への「投資活動」「レクリエーション」などを通じて
楽しみながら情報を交換しております。
もし何か行動したい…とか、何から始めてよいかわからない…など、
気になることはひとりで悩まずとりあえずCACへお知らせください。
よい提案が出来るかもしれません。
いつでもお待ちしております。
※ CACのメンバーさんには、今後みなさまにお役に立てるようなより踏み込んだ内容で情報配信をしていきます。
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